マンションのお庭の木蓮。

開花の頃はいつも、
気温の変化が激しくて、
開いたなぁ〜と思うと、
すっごく暑い日がやってきて
すぐに散ってしまうので、
短い命です。


うちの最寄駅は改札が2つあって、
一つは私たちが普通に使い、
もう一つ線路の向こう側の、
米軍基地の入り口になっています。
基地の奥には池子の森があって、
週に数日解放されていて、
時々お散歩に行っています。
森からは、野鳥の鳴き声が
うちにも届いて、引越したばかりの頃は
効果音かとびっくりしたぐらい。
深呼吸して、瞑想してみたり。


色々、考える時間。
自分が普通と感じることと周りの人が普通と感じることが、あまりにかけ離れているなぁ。
お注射が流行った時、
私は抗生物質でも時にはショック症状を起こしてしまうので、
エビデンスのないものを体内に入れるということが怖くて考えられなかった。
それに何より、メディアの煽り方が異常だったことで
むしろ不自然さを感じたし、
当時のブログでも書いているように
新しいタイプの戦争だと思った。
でも、会う人に
「私たちは打ったわよ、えっ打てないの?」
と攻撃的な態度を取られたり、
怒りを露わにする人もいた。
人それぞれの「正義」が違うんだなぁ。
でもなぜ?こんなにも乖離してしまうのかなぁ。
不自然と言えば
311の時のテレビがそれであり、
津波の恐怖映像を流し続け、
海外のメディアでは
放射能数値についてのコメントがあるものの、
日本のメディアでは
それらはほぼなかったように記憶している。
311の頃から、メディアコントロールへの不信感を感じ
テレビを見るのをやめた。
「これって変だよね」
と感じるものを、
「そうだよね私も変だと思う」
と言ってくれる人が周りにいない。
「これって本当にすごいよね!」
「本当にすごいよね〜!」
私が感じる普通の感覚を共有できない寂しさを、
いつも感じている。
今はオンラインで鑑定(カウンセリング)していて、
よくご相談いただく数名のクライアントさんと
ちょっとお話しが緩んだ時、
「打っていない」
とおっしゃるのを聞いてホッとする。

直接会う人の中にはなかなか共感できる人がいなくても、
私のプロフィールや、
具体的な考えをどこにも書いていなくても、
お互い引き合い、
直接お会いしたことがない方でも、
共感できることが、
本当に心の支えとなっています。
これこそが、
波動共鳴というのだなぁ。
いつかは、直接会う人たちと
共感できる日が来ることを
心の奥でそっと願っています。